2007年05月09日
おかげさまで次のステージへと上がることができました。
ご無沙汰しております。みなさま、お元気でしょうか?
気がつけばもう5月中旬に入ろうとしています。前の記事に書いたとおり、
本当に転換期、普通の転換期ではなく、人生の大きなターニングポイントと
なりました。
GWも忘れて集中して、日々充実した生活を送ると同時に自分の心を
前よりも深く見つめ直す日々を送りました。
観念浄化のおかげ様で、無事大きなターニングポイントを迎えられたと
思います。もし、観念浄化をやっていなかったら、見過ごしていたでしょう。
観念浄化に感謝です。そして、できうるならば、引き続きこのブログの
更新を続けたいのですけれども、次なるステージをしっかりと一歩、一歩
進めるために、更新終了させて頂きます。
観念浄化の仲間たちへ、あなた達に出会えて本当によかったです。
ありがとうございます。
このブログは残してゆきますので、これから来る観念浄化を実践して
おられる方々が過去ログから何かの参考になれば幸いです。
気がつけばもう5月中旬に入ろうとしています。前の記事に書いたとおり、
本当に転換期、普通の転換期ではなく、人生の大きなターニングポイントと
なりました。
GWも忘れて集中して、日々充実した生活を送ると同時に自分の心を
前よりも深く見つめ直す日々を送りました。
観念浄化のおかげ様で、無事大きなターニングポイントを迎えられたと
思います。もし、観念浄化をやっていなかったら、見過ごしていたでしょう。
観念浄化に感謝です。そして、できうるならば、引き続きこのブログの
更新を続けたいのですけれども、次なるステージをしっかりと一歩、一歩
進めるために、更新終了させて頂きます。
観念浄化の仲間たちへ、あなた達に出会えて本当によかったです。
ありがとうございます。
このブログは残してゆきますので、これから来る観念浄化を実践して
おられる方々が過去ログから何かの参考になれば幸いです。
Posted by あーる♪ at
23:26
│Comments(2)
2007年04月21日
4月下旬は
私にとっての4月下旬は怒濤の展開になりそうです。
転換期なのかも知れないし、自己実現をするチャンスなのかも知れません。
ともあれ、そちらに集中することにしましたので、ブログの方は更新するかも
知れませんが、基本的にしばらくお休みさせていただきます。
また、お会いしましょう
転換期なのかも知れないし、自己実現をするチャンスなのかも知れません。
ともあれ、そちらに集中することにしましたので、ブログの方は更新するかも
知れませんが、基本的にしばらくお休みさせていただきます。
また、お会いしましょう

Posted by あーる♪ at
11:35
│Comments(3)
2007年04月17日
観念のメカニズム

BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント
これは、観念浄化をしている人に、とてもお勧めしたい本だと思います。
なぜなら、いま第2章の現実創造のメカニズムま読みましたが、このメカニズムに、
観念とはいかにして生まれるかが見事に説明されていたからです。
それを読むだけでも、かなり観念浄化の手助けとなることは確実だと思います。
メカニズムを知るということは、例えてみるとルールを知るということによく似ています。
サッカーのルールを知っている人と、知らない人がやってみるとなれば、どちらが
より早く熟練し、上達できるのでしょうか。
ルールを知っている人は、ちゃんと足で蹴るスポーツだと知っています。
ところが、ルールを知らない人にとっては、ボールをどう扱うかそれすらも知りません。
いざ試合が始まって、いきなりボールを手でつかんだらいきなり反則になってしまい、
スムーズに運ぶことができないですよね。
メカニズムに対する理解は、観念浄化をよりいっそう早く熟練してくれます。
現実創造のメカニズムでとても勉強になったことは、この世界は鏡の世界である、
ということをより詳しく知ることができたことです。
前に書いた記事で、観念を浄化したあとのワクワクについて、私の知りたいことも
ここに書いてありました。
観念を浄化した後、真にワクワクする状態を作りたいのであれば、
ワクワクする行動をとること
これしかありません。
なぜかというと、ワクワクするだけなら、そのまま鏡の世界のように、ワクワクするだけの現象
しか返ってこないからです。
ワクワクするだけの現象が返ってきて、そこで何にも行動を起こさずに、または行動パターンを
ワクワクする方向に変えずに、前と同じワクワクするだけだったら、さらに強く
ワクワクするだけの現象が更にたくさん返ってきます。
そしてやがて、こんなにもワクワクしているのに何も起らない!とイライラ・不安・怒り・失望感を
抱いてきます。 だって何も行動してませんから。
ここで大事なのが、ワクワクする現象が返ってきたら、ワクワクする行動に移すことです。
行動に移すことによって、ワクワクする行動もたくさん返ってきて増えていきます。
ワクワクするだけなら、ワクワクするだけの現象が返ってくる。
ワクワクする行動を起こすことによって、ワクワクする行動の現象がさらに返ってくる。
この違いはとても大きいです。
観念のメカニズムを知りたい方、さらに詳しく知りたい方はぜひ読まれることを強くお勧めします。
本の画像から、目次~16Pまで見れる、Amzonのなか見検索!へ飛べますので、ぜひお読みください。
Posted by あーる♪ at
21:12
│Comments(6)
2007年04月16日
自分自身を、充分に生きる!
これだ!というメッセージがバシャールのHPに書いてありました。
「心配」と「ワクワクする気持ち」とは、まったく同じエネルギーです。
自分を疑うとき「心配」になります。
自分を信頼しているときには「ワクワク」になります。
そのエネルギーを感じるのは構いません。
ただ、自分で「心配」より、「ワクワク」のほうを選んでください。
ほんとうに、本質を表しているメッセージだと思います。
観念によって自分を疑い、浄化したら自分を信頼する。
観念浄化というのは、「心配」のエネルギーを「ワクワク」のエネルギーへと
転化するための道具だったんですね!
このメッセージの最後の、自分で選んでくださいというのが大事なポイントです。
つまり、自分の力でしか選べないということです。
他人の力で選ぶことは不可能です。
どんなにイヤなことがあっても、それを癒すのは自分自身しかできません。
外部に解決しようとする限り、それは違う形をとってあなたの前へと出てきます。
「心配」と「ワクワク」は全く同じエネルギーですから、無理にそこからそむけたら、
「ワクワク」も一緒に取り除いてしまいます。
「心配」と「ワクワク」はワンセット!
「心配」したら、その心配をじっくりと見つめてあげて浄化してあげてください。
「心配」の中にある「ワクワク」を見つけ出したら、問題はなくなり、自分自身を
信頼することができます。
自分自身を、充分に生きるということは、ワクワクすること!
何か心配事がやってきたら、「心配」と「ワクワク」はワンセット!と
リズムよく、繰り返し思ってみてください。
そうすれば、解決のためのアイディアが、どんどん湧くことでしょう!
なぜなら、「ワクワク」 は 「湧く湧く」 だからです。
「心配」と「ワクワクする気持ち」とは、まったく同じエネルギーです。
自分を疑うとき「心配」になります。
自分を信頼しているときには「ワクワク」になります。
そのエネルギーを感じるのは構いません。
ただ、自分で「心配」より、「ワクワク」のほうを選んでください。
ほんとうに、本質を表しているメッセージだと思います。
観念によって自分を疑い、浄化したら自分を信頼する。
観念浄化というのは、「心配」のエネルギーを「ワクワク」のエネルギーへと
転化するための道具だったんですね!
このメッセージの最後の、自分で選んでくださいというのが大事なポイントです。
つまり、自分の力でしか選べないということです。
他人の力で選ぶことは不可能です。
どんなにイヤなことがあっても、それを癒すのは自分自身しかできません。
外部に解決しようとする限り、それは違う形をとってあなたの前へと出てきます。
「心配」と「ワクワク」は全く同じエネルギーですから、無理にそこからそむけたら、
「ワクワク」も一緒に取り除いてしまいます。
「心配」と「ワクワク」はワンセット!
「心配」したら、その心配をじっくりと見つめてあげて浄化してあげてください。
「心配」の中にある「ワクワク」を見つけ出したら、問題はなくなり、自分自身を
信頼することができます。
自分自身を、充分に生きるということは、ワクワクすること!
何か心配事がやってきたら、「心配」と「ワクワク」はワンセット!と
リズムよく、繰り返し思ってみてください。
そうすれば、解決のためのアイディアが、どんどん湧くことでしょう!
なぜなら、「ワクワク」 は 「湧く湧く」 だからです。
Posted by あーる♪ at
23:53
│Comments(3)
2007年04月12日
浄化したあとの「期待」とは?
浄化したあとの期待の観念について、このようなコメントがありました。
観念浄化後の何かを期待するって、人生の映像の変化を期待するわけですから、
大いに期待してもいいのでは?
そこのところちょっとこんがらがっていますので教えてください。
ごもっともな質問です。
このコメントを見たとき、ああ、ごもっともな質問だなあ、なるほどなあと、
頭の中を整理するきっかけを与えてくれました。
まず、前提として言葉というものは同じ言葉なのに、一人一人それぞれ
受け止める意味が違ってくる不思議なものです。
ですので、この場合の「期待」の意味をよく噛みしめて整理していきたいと思います。
私の考える「期待」の意味は、『結果』に対する期待のことです。
コメントに人生の映像の変化を期待するわけですから、大いに期待してもいいのでは?
と書いてありました。
はい、もちろん大いに期待してもいいんです。
ですが、結果にこだわったり、執着したら観念になってしまいます。
期待してもいいが、結果に執着してはいけない。
そういう意味です。
これは私の説明不足でした。ごめんなさい。
例えば、「私は絶対に豊かになれる!」と宣言したとします。
すると、「ほんとにそうかなあ?」「いや、私には無理でしょう」とか観念が
芽生えてきます。
それらの観念をほったらかしにして、そのまま豊かになろうとすると結果に
こだわってしまうことになります。
つまり、自分さえ豊かになればそれでいいんだ。
他の人の豊かなんて知ったことではない。
と手段を問わない道をまっしぐらに突き進もうとします。
結果に執着したゆえに、自分さえよければOKという道しか見えないのです。
これと同じように、浄化したあと絶対にいいことはある、と結果に期待すぎる
というのはもう言うまでもなく執着そのものです。
執着も観念ですから、それを見つけるために浄化した後も自分の中で
結果にこだわっていないだろうか?
と問いかけるのもいい方法だと思います。
以上です。
私の考える期待とは「結果」に対する期待の意味が
少しでも伝わってくれたら幸いです。
結果ではなく、過程を楽しむ。
そういう意味の期待なら、大いにしてもOKだと思います。
ご質問ありがとうございました。
言葉に対する認識というものを学ばせていただきました。
どうもありがとう。
また他に質問があったらいつでもしてくださいね。
観念浄化後の何かを期待するって、人生の映像の変化を期待するわけですから、
大いに期待してもいいのでは?
そこのところちょっとこんがらがっていますので教えてください。
ごもっともな質問です。
このコメントを見たとき、ああ、ごもっともな質問だなあ、なるほどなあと、
頭の中を整理するきっかけを与えてくれました。
まず、前提として言葉というものは同じ言葉なのに、一人一人それぞれ
受け止める意味が違ってくる不思議なものです。
ですので、この場合の「期待」の意味をよく噛みしめて整理していきたいと思います。
私の考える「期待」の意味は、『結果』に対する期待のことです。
コメントに人生の映像の変化を期待するわけですから、大いに期待してもいいのでは?
と書いてありました。
はい、もちろん大いに期待してもいいんです。
ですが、結果にこだわったり、執着したら観念になってしまいます。
期待してもいいが、結果に執着してはいけない。
そういう意味です。
これは私の説明不足でした。ごめんなさい。
例えば、「私は絶対に豊かになれる!」と宣言したとします。
すると、「ほんとにそうかなあ?」「いや、私には無理でしょう」とか観念が
芽生えてきます。
それらの観念をほったらかしにして、そのまま豊かになろうとすると結果に
こだわってしまうことになります。
つまり、自分さえ豊かになればそれでいいんだ。
他の人の豊かなんて知ったことではない。
と手段を問わない道をまっしぐらに突き進もうとします。
結果に執着したゆえに、自分さえよければOKという道しか見えないのです。
これと同じように、浄化したあと絶対にいいことはある、と結果に期待すぎる
というのはもう言うまでもなく執着そのものです。
執着も観念ですから、それを見つけるために浄化した後も自分の中で
結果にこだわっていないだろうか?
と問いかけるのもいい方法だと思います。
以上です。
私の考える期待とは「結果」に対する期待の意味が
少しでも伝わってくれたら幸いです。
結果ではなく、過程を楽しむ。
そういう意味の期待なら、大いにしてもOKだと思います。
ご質問ありがとうございました。
言葉に対する認識というものを学ばせていただきました。
どうもありがとう。
また他に質問があったらいつでもしてくださいね。
Posted by あーる♪ at
19:59
│Comments(9)
2007年04月11日
浄化した後のことを期待するのも観念
観念を浄化しているときに
あっ! そうか!
と気づいたことがあったので、忘れないうちに記事にしておきます。
浄化しているときに、ふっと無意識的に
『 この観念を浄化した後どうなるんだろう 』
『 きっとなにかいいことがあるに違いない 』
と思っていた自分を発見したんです。
これを落ち着いて、客観的に見てみると
『 期待 』 そのものです。
観念を浄化したあと、何かいいことがあるとそう思うだけで
期待することになっていたんだ・・・。
期待するっていうことは、必ず期待の裏返しの失望がつくんです。
期待した時点で、失望は約束されたようなものなんです。
さっそくこの観念を浄化しました。
浄化したあとのワクワク感。
客観的に眺めてみて、それは期待からくるワクワクなのか、自分を
眺めてみてください。
善い感情でも、観察する!
それさえも、観察してみたら実は観念だった! ということもありえるのだから。
あっ! そうか!
と気づいたことがあったので、忘れないうちに記事にしておきます。
浄化しているときに、ふっと無意識的に
『 この観念を浄化した後どうなるんだろう 』
『 きっとなにかいいことがあるに違いない 』
と思っていた自分を発見したんです。
これを落ち着いて、客観的に見てみると
『 期待 』 そのものです。
観念を浄化したあと、何かいいことがあるとそう思うだけで
期待することになっていたんだ・・・。
期待するっていうことは、必ず期待の裏返しの失望がつくんです。
期待した時点で、失望は約束されたようなものなんです。
さっそくこの観念を浄化しました。
浄化したあとのワクワク感。
客観的に眺めてみて、それは期待からくるワクワクなのか、自分を
眺めてみてください。
善い感情でも、観察する!
それさえも、観察してみたら実は観念だった! ということもありえるのだから。
Posted by あーる♪ at
12:02
│Comments(6)
2007年04月10日
私にできること
観念を浄化していったら、ある程度は自分を客観的に
見れるようになると思います。
そこで真っ先に目につくのは・・・
自分の嫌な部分です。
自分のネガティブな部分がどっと出てくる。
見るのさえ嫌。
でも、出てくるだけでもとてもありがたいんです。
なぜなら、ネガティブな部分を直視しない限り、成長できないからなんです。
やりたいことが増え始め、そのときにやる気が起らずに気力喪失していましたが、
あとでよくよく自分を客観的に見てみました。
そしたら単に考えること、工夫することがめんどくさいだけだったんです(笑)
観念を浄化してみたら、時にいい加減で、時に真剣で、時に楽しく、そのつど
感じることに対して対応すればいい、そう思うようになりました。
自分のネガティブな部分が出たら、ありがたい!
観念浄化のお出ましだ~! みなども、図が高いぞよ~!
という風にやってみたら観念を浄化しやすくなるのかも知れませんよ(笑)
見れるようになると思います。
そこで真っ先に目につくのは・・・
自分の嫌な部分です。
自分のネガティブな部分がどっと出てくる。
見るのさえ嫌。
でも、出てくるだけでもとてもありがたいんです。
なぜなら、ネガティブな部分を直視しない限り、成長できないからなんです。
やりたいことが増え始め、そのときにやる気が起らずに気力喪失していましたが、
あとでよくよく自分を客観的に見てみました。
そしたら単に考えること、工夫することがめんどくさいだけだったんです(笑)
観念を浄化してみたら、時にいい加減で、時に真剣で、時に楽しく、そのつど
感じることに対して対応すればいい、そう思うようになりました。
自分のネガティブな部分が出たら、ありがたい!
観念浄化のお出ましだ~! みなども、図が高いぞよ~!
という風にやってみたら観念を浄化しやすくなるのかも知れませんよ(笑)
Posted by あーる♪ at
23:36
│Comments(5)
2007年04月07日
観念を受け入れる
観念を浄化するのが難しいときにどうすればいいのか。
津留晃一さんのHPのブログを読んで、思わず
『 これだ!! 』
と、その回答がありました。
ぜひお読みください。
このごろ思うこと 2007.04.03 Q&A 3
貴重なアドバイスが載ってあるので、きっと観念浄化に役立つことでしょう。
最後の方に、こう書いてありました。
『 浄化して、浄化して覚醒するのも
体験して体験して、どろどろ、グシャグシャに生きながら、
最後に覚醒するのも同じことです。 』
思わずなるほどなーと心の中にストーンと落ちました。
とてもいい言葉です。
津留晃一さんのHPのブログを読んで、思わず
『 これだ!! 』
と、その回答がありました。
ぜひお読みください。
このごろ思うこと 2007.04.03 Q&A 3
貴重なアドバイスが載ってあるので、きっと観念浄化に役立つことでしょう。
最後の方に、こう書いてありました。
『 浄化して、浄化して覚醒するのも
体験して体験して、どろどろ、グシャグシャに生きながら、
最後に覚醒するのも同じことです。 』
思わずなるほどなーと心の中にストーンと落ちました。
とてもいい言葉です。
Posted by あーる♪ at
23:56
│Comments(0)
2007年04月06日
差別=観念
私たちは良いことだけ喜び、悪いことには嫌な顔をして否定してます。
良い人間には好感を持ち、嫌な人間には嫌悪を覚えます。
でも、ほんとうは良いも悪いもありません。
むしろ人は欠点だらけです。
良い人にいい顔をするだけならサルでもできるんです。
嫌な人に嫌悪を覚えた時点で、それは差別となり観念になってしまいます。
差別=観念
ちょっとでも差別する心があるなら、それは観念だ!と覚えておきましょう。
悟りとは、差とり。
全ての差別をとったその時が悟りです。
だから差とり。
現代は差とりするための道具がいっぱい出ているような気がします。
観念浄化もそのうちのひとつのツールなんですね。
いま、この観念浄化の理解を加速するために観念の元となる
こころについて勉強しています。
正直に言ってしまえば、ブログを書くよりもこころについて勉強
することが楽しいです(笑)
ですので、更新するのが遅れるのかも知れませんが、
のんびりやっていきますね
ホンモノの人生を一歩ずつ、歩んでいるような気がします。
ただただ、淡々と・・・。
参考文献 『人は生まれなおせる』 あまちゆうと著書
良い人間には好感を持ち、嫌な人間には嫌悪を覚えます。
でも、ほんとうは良いも悪いもありません。
むしろ人は欠点だらけです。
良い人にいい顔をするだけならサルでもできるんです。
嫌な人に嫌悪を覚えた時点で、それは差別となり観念になってしまいます。
差別=観念
ちょっとでも差別する心があるなら、それは観念だ!と覚えておきましょう。
悟りとは、差とり。
全ての差別をとったその時が悟りです。
だから差とり。
現代は差とりするための道具がいっぱい出ているような気がします。
観念浄化もそのうちのひとつのツールなんですね。
いま、この観念浄化の理解を加速するために観念の元となる
こころについて勉強しています。
正直に言ってしまえば、ブログを書くよりもこころについて勉強
することが楽しいです(笑)
ですので、更新するのが遅れるのかも知れませんが、
のんびりやっていきますね

ホンモノの人生を一歩ずつ、歩んでいるような気がします。
ただただ、淡々と・・・。
参考文献 『人は生まれなおせる』 あまちゆうと著書
Posted by あーる♪ at
23:24
│Comments(2)
2007年04月04日
観念を生み出さない方法
今日は観念をなるべく生み出さない方法について書こうと思います。
観念を生み出さないといっても、100%までいったらそれこそ悟りの世界です(笑)
ですので、これをやれば観念はまあ、あまり生まれないんじゃないかな、
という視点で書きます。
観念を生み出す原因として、選択という行為にあります。
日々、選択の連続です。 私たち人間は、必ず選択をしながら生きています。
選択をしない人間というものはいません。
みなさんはその選択をするにあたって、どのように選んでいますか?
観念が生まれやすい選択というものは、損得勘定の選択です。
損得勘定で選ぶというのは、観念で考えているというのが多いです。
観念で考えているということは、頭で考えています。
ハートで考えていないんですね。
ハートの中にあるのは感性のみです。
楽しいか、面白いか、ワクワクするか、そういった感性というものは
ハートの中にしかありません。
ハートには観念というものは存在しません。
なので、選択の基準をハートに合わせれば観念は出てこないのですね。
つまり、こっちを選べば楽しそうだ、面白そうだ、ワクワクしそうだ、という基準を
自分の中にしっかりと根付かせること。
そしてそれがたいてい自分がほんとうにやりたいことでもあったりするのです。
楽しそうだ、面白そうだ、ワクワクしそうだ、といった基準の他にも、
あまちゆうとさんの著書で、こんな基準がありました。
『 優先 』 というのは、優しさが先と書きます。
こちらを選べば、自分が優しくなれると感じるのを選ぶ。
選択を優先する。 優先するということは、優しさが先。
つまり、自分が優しくなれる方向を選ぶ。
こんな基準もとても素敵なものだとそう感じます。
選択の基準をハートに合わせる、これもまたひとつの方法ですよ~
観念を生み出さないといっても、100%までいったらそれこそ悟りの世界です(笑)
ですので、これをやれば観念はまあ、あまり生まれないんじゃないかな、
という視点で書きます。
観念を生み出す原因として、選択という行為にあります。
日々、選択の連続です。 私たち人間は、必ず選択をしながら生きています。
選択をしない人間というものはいません。
みなさんはその選択をするにあたって、どのように選んでいますか?
観念が生まれやすい選択というものは、損得勘定の選択です。
損得勘定で選ぶというのは、観念で考えているというのが多いです。
観念で考えているということは、頭で考えています。
ハートで考えていないんですね。
ハートの中にあるのは感性のみです。
楽しいか、面白いか、ワクワクするか、そういった感性というものは
ハートの中にしかありません。
ハートには観念というものは存在しません。
なので、選択の基準をハートに合わせれば観念は出てこないのですね。
つまり、こっちを選べば楽しそうだ、面白そうだ、ワクワクしそうだ、という基準を
自分の中にしっかりと根付かせること。
そしてそれがたいてい自分がほんとうにやりたいことでもあったりするのです。
楽しそうだ、面白そうだ、ワクワクしそうだ、といった基準の他にも、
あまちゆうとさんの著書で、こんな基準がありました。
『 優先 』 というのは、優しさが先と書きます。
こちらを選べば、自分が優しくなれると感じるのを選ぶ。
選択を優先する。 優先するということは、優しさが先。
つまり、自分が優しくなれる方向を選ぶ。
こんな基準もとても素敵なものだとそう感じます。
選択の基準をハートに合わせる、これもまたひとつの方法ですよ~

Posted by あーる♪ at
00:46
│Comments(5)
2007年03月31日
アファメーション
このようなホームページを見つけました。
ことばの贈りもの~「ことば探し」
アファメーションについてかなりのカテゴリがありますので、
この中から気になるアファメーションがあったら、その裏に
観念が隠されているのかもしれません。
宣言や観念浄化をするのに表現したい言葉が
浮かんでこない、という人にオススメです。
ことばの贈りもの~「ことば探し」
アファメーションについてかなりのカテゴリがありますので、
この中から気になるアファメーションがあったら、その裏に
観念が隠されているのかもしれません。
宣言や観念浄化をするのに表現したい言葉が
浮かんでこない、という人にオススメです。
Posted by あーる♪ at
20:42
│Comments(11)
2007年03月29日
自我という観念が生み出すもの
今日は観念のボス的存在の観念について書きますね。
はっきりいって、半分、それ以上の観念はここから生まれると
経験的にも、理論的にも言い切っても間違いないはずです。
その観念とは・・・
『 世界は自分の思い通りになる 』
です。 世間的な怒りや不安や悩みや喜びや楽しさは
ぜーんぶこの観念から生まれてくるのです。
どういうことなのか、順を追って説明しましょう。
誰でも思い通りにスムーズに行くと、嬉しいですね。
恋愛だって、あの人を振り向かせたくていろいろ努力をし、
その願いがかなったときは純粋に嬉しいと思います。
小さなことでも、運転しているときに信号が切り替わるときに
計算してまだ大丈夫と思って行くとき、切り替わる前に
通過したら思い通りに叶った、としてささやかな喜びが出ます。
ですが、その裏には必ず 『 期待 』 というもがあります。
この期待が怒りを生み出すのですね。
思い通りにいかなかったとき、逆にムッとしたり怒りの感情が
発生します。
期待が失望を生み出します。
例えば何かの記事を読んで、それが気に入らない記事だったら
それはあなたの裏に 『 思い通りになる 』 という観念があります。
気に入らないということは、あなたの中にある期待を裏切ったということです。
人に挨拶をして、挨拶も返してくれなかったときムッとする。
それはあなたの中に、 『 挨拶を返してくれる 』 という期待があったからです。
電車のキップ売り場とか映画で並んで待っているとき、先方にトラブルが
発生し、よけいに時間がかかってしまい、あなたは希望していた電車や映画の
時間に遅れて、乗れなかった&観れなくて、ムッとします。
それはあなたの中に、期待(思い通りになる)という観念があったからです。
自分の意見を誰かに反論されてムッとする。 それも自分の中に、
『 自分の考え方は正しくて、自分の考えも思い通りなんだ 』
という自我(エゴ)があるからです。
年をとって、老いるのイヤだなあと思ったとき、それもまた
『 自分は長生きできる 』
という思い通りの期待があなたの中にあるからです。
『 世界は自分の思い通りになる 』 というボスキャラ級の観念は、
書いても書いてもキリがありません。
争いもこの観念から出てくるのです。
さて、この観念を浄化したらどうなるのでしょう。
浄化したらとても楽になれます。 頭がおどろくほど柔軟になれます。
ベストを尽くし、結果は一向にも気にならなくなります。
今にベストを尽くして、何かの障害でそれがやれなくなった時に
『 あ、そうですか 』
やんわりと受け流し、
『 じゃあこれをやってみましょう 』
とあっさりと他のことをやり始めます。
そこには悔いや後悔がみじんもないのです。
人から何か意見を言われたり、叱られたりしたときにも、
この観念をなくしておけば、もう自分の中に思い通りになる
(=自分の考えが正しい) という自我はないのですから、
『 あ、そうですか 』
とやんわりと受け流せます(笑)
そしてそればかりではなく、冷静に聞くことができるので
学ぶところが得られるようになってきます。
どんな発言を見ても、聞いても、そこから自分にとっての
知恵を見いだせるのです。
プラスもマイナスも自分の糧とするのですね。
だって、期待も失望もないのですから、その状態はまさに
ニュートラルの位置にいます。
ニュートラルだから、ぜーんぶ自分の中に取り入れることができる。
この生き方は、とても楽です。
そしてもっともいちばん成長できる生き方とも言えます。
人間の中で一番成長しているといわれている、とても明るく楽しく
やっている子供たちは常に結果を期待しながらやっているように見えますか?
そのような子供らの中には世界は自分の思い通りになるという自我は
みじんもないはずです。
ただやりたいからやっているだけ。
生き方を少しでも楽にしたいのであれば、
ぜひこの観念について考えてみてくださいね。
(*) どんな小さな現象でも 『 自分の思い通りになる 』 という観念が
隠されています。 ですので、この観念を浄化するのであれば、
徹底的にやることをおすすめします。
はっきりいって、半分、それ以上の観念はここから生まれると
経験的にも、理論的にも言い切っても間違いないはずです。
その観念とは・・・
『 世界は自分の思い通りになる 』
です。 世間的な怒りや不安や悩みや喜びや楽しさは
ぜーんぶこの観念から生まれてくるのです。
どういうことなのか、順を追って説明しましょう。
誰でも思い通りにスムーズに行くと、嬉しいですね。
恋愛だって、あの人を振り向かせたくていろいろ努力をし、
その願いがかなったときは純粋に嬉しいと思います。
小さなことでも、運転しているときに信号が切り替わるときに
計算してまだ大丈夫と思って行くとき、切り替わる前に
通過したら思い通りに叶った、としてささやかな喜びが出ます。
ですが、その裏には必ず 『 期待 』 というもがあります。
この期待が怒りを生み出すのですね。
思い通りにいかなかったとき、逆にムッとしたり怒りの感情が
発生します。
期待が失望を生み出します。
例えば何かの記事を読んで、それが気に入らない記事だったら
それはあなたの裏に 『 思い通りになる 』 という観念があります。
気に入らないということは、あなたの中にある期待を裏切ったということです。
人に挨拶をして、挨拶も返してくれなかったときムッとする。
それはあなたの中に、 『 挨拶を返してくれる 』 という期待があったからです。
電車のキップ売り場とか映画で並んで待っているとき、先方にトラブルが
発生し、よけいに時間がかかってしまい、あなたは希望していた電車や映画の
時間に遅れて、乗れなかった&観れなくて、ムッとします。
それはあなたの中に、期待(思い通りになる)という観念があったからです。
自分の意見を誰かに反論されてムッとする。 それも自分の中に、
『 自分の考え方は正しくて、自分の考えも思い通りなんだ 』
という自我(エゴ)があるからです。
年をとって、老いるのイヤだなあと思ったとき、それもまた
『 自分は長生きできる 』
という思い通りの期待があなたの中にあるからです。
『 世界は自分の思い通りになる 』 というボスキャラ級の観念は、
書いても書いてもキリがありません。
争いもこの観念から出てくるのです。
さて、この観念を浄化したらどうなるのでしょう。
浄化したらとても楽になれます。 頭がおどろくほど柔軟になれます。
ベストを尽くし、結果は一向にも気にならなくなります。
今にベストを尽くして、何かの障害でそれがやれなくなった時に
『 あ、そうですか 』
やんわりと受け流し、
『 じゃあこれをやってみましょう 』
とあっさりと他のことをやり始めます。
そこには悔いや後悔がみじんもないのです。
人から何か意見を言われたり、叱られたりしたときにも、
この観念をなくしておけば、もう自分の中に思い通りになる
(=自分の考えが正しい) という自我はないのですから、
『 あ、そうですか 』
とやんわりと受け流せます(笑)
そしてそればかりではなく、冷静に聞くことができるので
学ぶところが得られるようになってきます。
どんな発言を見ても、聞いても、そこから自分にとっての
知恵を見いだせるのです。
プラスもマイナスも自分の糧とするのですね。
だって、期待も失望もないのですから、その状態はまさに
ニュートラルの位置にいます。
ニュートラルだから、ぜーんぶ自分の中に取り入れることができる。
この生き方は、とても楽です。
そしてもっともいちばん成長できる生き方とも言えます。
人間の中で一番成長しているといわれている、とても明るく楽しく
やっている子供たちは常に結果を期待しながらやっているように見えますか?
そのような子供らの中には世界は自分の思い通りになるという自我は
みじんもないはずです。
ただやりたいからやっているだけ。
生き方を少しでも楽にしたいのであれば、
ぜひこの観念について考えてみてくださいね。
(*) どんな小さな現象でも 『 自分の思い通りになる 』 という観念が
隠されています。 ですので、この観念を浄化するのであれば、
徹底的にやることをおすすめします。
Posted by あーる♪ at
19:38
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2007年03月28日
智慧がひらめく
この頃、考えることが前よりも減りました。
観念も前より減り始め、変な価値観で決めつけたりしなくなりつつありました。
それでも観念は出てきますが、
『 世間に触れている限り、新たな観念が出てくる 』
というような意味を安達さんが言っていましたが、まさにその通りなのでしょう。
日常生活にもヴィパッサナー瞑想を取り入れ、以前よりも 「 ここ・いま 」 に
集中することができました。
その結果、何が起ったかというと一言で言えば、
不安や悩みがほとんどなくなり、アイディアが閃いてくるのです。
『 ここをこうしたらいいんじゃないかな 』
『 あれをあの人にこうすれば喜ぶんじゃないかな 』
とかいったアイディアが、何の考えもなしに電灯が一瞬で光ったかのように、
突然閃いてくるのです。
昔は、アイディアが急に閃いてくる回数はそんなになかったのですが、
今はその回数が多くなっているような気がします。
あぁ、子供って常にアイディアが閃いているんだなぁともそう感じました。
子供はどのような環境においても、つねに何かを遊びにしたりして遊んでいます。
アイディアが鋭く閃きやすいのですね。
そして、それこそが智慧そのものです。
今に集中すればするほど、智慧はより閃きやすくなる。
それを邪魔しているのが、観念。
観念は過去と未来にしか存在しないもの。
智慧は現在の 「 いま・ここ 」 にしか存在しないもの。
これに気づけただけでも、観念浄化の次のステージに上がれたということかな・・・?
観念も前より減り始め、変な価値観で決めつけたりしなくなりつつありました。
それでも観念は出てきますが、
『 世間に触れている限り、新たな観念が出てくる 』
というような意味を安達さんが言っていましたが、まさにその通りなのでしょう。
日常生活にもヴィパッサナー瞑想を取り入れ、以前よりも 「 ここ・いま 」 に
集中することができました。
その結果、何が起ったかというと一言で言えば、
不安や悩みがほとんどなくなり、アイディアが閃いてくるのです。
『 ここをこうしたらいいんじゃないかな 』
『 あれをあの人にこうすれば喜ぶんじゃないかな 』
とかいったアイディアが、何の考えもなしに電灯が一瞬で光ったかのように、
突然閃いてくるのです。
昔は、アイディアが急に閃いてくる回数はそんなになかったのですが、
今はその回数が多くなっているような気がします。
あぁ、子供って常にアイディアが閃いているんだなぁともそう感じました。
子供はどのような環境においても、つねに何かを遊びにしたりして遊んでいます。
アイディアが鋭く閃きやすいのですね。
そして、それこそが智慧そのものです。
今に集中すればするほど、智慧はより閃きやすくなる。
それを邪魔しているのが、観念。
観念は過去と未来にしか存在しないもの。
智慧は現在の 「 いま・ここ 」 にしか存在しないもの。
これに気づけただけでも、観念浄化の次のステージに上がれたということかな・・・?
Posted by あーる♪ at
17:00
│Comments(8)
2007年03月24日
中ボスの観念・4
心が楽になってから、死の恐怖もいつしか無くなり
淡々とした日々を送っていました。
そんな生活にも慣れた頃にふいと突然あの観念が
私の心に襲ってきました。
『 ざまあみろ 』
私はギョッとしました。
忘れていたはずのあの感覚がよみがえったのです。
それは他人の不幸をエサにして、本を読むときに自分の
不幸体験を語っている文章が目に止まると、エサに勢いよく
食いかかるように、
『 ざまあみろ 』
と反射的に思ってしまうぐらいでした。
普通に観念浄化しても消えません。
それは潜在意識の底に刷り込まれているぐらいの
大きな観念でした。
何しろ普通にやっても効かないので、何か効く方法は
ないものかとまた津留さんの本を読みました。
するとあるテクニックが書いてあったので、
それを使うことにしてみました。
それは 自我に対して答えを求めずに、ただひたすら
『 どうして? 』 と質問を問いかけるというテクニックでした。
自我に問いかけて、答えが出たらそれも自我なんです。
自我が自我を生み出すようなものだから、いくら答えを問いかけても
自我そのものであるから、いくらやっても解けっこないと・・・。
だから、考えても考えても自我に問いかけている限りは
解決できないんですね。
そして、 『 ざまあみろ 』
という観念が出たときにただひたすら、
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
・
・
・
・
これを一日中繰り返しました。
途中で自我さんがいろいろ言っていましたが、全部無視。
一日中、頭の中は 『 どうして? 』 だけが回っていました。
すると、効果がありました。
完璧に消えたわけではありませんが、間違いなく以前よりも
『 ざまあみろ 』 という声は減っていたのです。
どうやら、今まで私は自我さんに答えばっかり
求めていたようでした。
頭の中で考えて、考えて、答えを得るたびに自我さんが
しめたと言わんばかりに新しい観念(自我さん)を
生み出していたのでしょう。
答えを求めずに、ただひたすら 『 どうして? 』 と
問いかけ、ひとつずつ自我さんを消していったのだと
今は思います。
そして、現在は観念浄化とヴィパッサナー瞑想を組み合わせる
ことによりその問題は解決しつつあり、同時に今に生きる喜びを
取り戻しつつあります。
この答えを求めずにただひたすら 『 どうして? 』 と自我さんに
問いかける方法はとても有効なテクニックだと思います。
手強い観念があり、観念浄化だけで浄化できなかったら
ぜひ使ってみてください。
淡々とした日々を送っていました。
そんな生活にも慣れた頃にふいと突然あの観念が
私の心に襲ってきました。
『 ざまあみろ 』
私はギョッとしました。
忘れていたはずのあの感覚がよみがえったのです。
それは他人の不幸をエサにして、本を読むときに自分の
不幸体験を語っている文章が目に止まると、エサに勢いよく
食いかかるように、
『 ざまあみろ 』
と反射的に思ってしまうぐらいでした。
普通に観念浄化しても消えません。
それは潜在意識の底に刷り込まれているぐらいの
大きな観念でした。
何しろ普通にやっても効かないので、何か効く方法は
ないものかとまた津留さんの本を読みました。
するとあるテクニックが書いてあったので、
それを使うことにしてみました。
それは 自我に対して答えを求めずに、ただひたすら
『 どうして? 』 と質問を問いかけるというテクニックでした。
自我に問いかけて、答えが出たらそれも自我なんです。
自我が自我を生み出すようなものだから、いくら答えを問いかけても
自我そのものであるから、いくらやっても解けっこないと・・・。
だから、考えても考えても自我に問いかけている限りは
解決できないんですね。
そして、 『 ざまあみろ 』
という観念が出たときにただひたすら、
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
『 どうして? 』
・
・
・
・
これを一日中繰り返しました。
途中で自我さんがいろいろ言っていましたが、全部無視。
一日中、頭の中は 『 どうして? 』 だけが回っていました。
すると、効果がありました。
完璧に消えたわけではありませんが、間違いなく以前よりも
『 ざまあみろ 』 という声は減っていたのです。
どうやら、今まで私は自我さんに答えばっかり
求めていたようでした。
頭の中で考えて、考えて、答えを得るたびに自我さんが
しめたと言わんばかりに新しい観念(自我さん)を
生み出していたのでしょう。
答えを求めずに、ただひたすら 『 どうして? 』 と
問いかけ、ひとつずつ自我さんを消していったのだと
今は思います。
そして、現在は観念浄化とヴィパッサナー瞑想を組み合わせる
ことによりその問題は解決しつつあり、同時に今に生きる喜びを
取り戻しつつあります。
この答えを求めずにただひたすら 『 どうして? 』 と自我さんに
問いかける方法はとても有効なテクニックだと思います。
手強い観念があり、観念浄化だけで浄化できなかったら
ぜひ使ってみてください。
Posted by あーる♪ at
00:20
│Comments(6)
2007年03月17日
中ボスの観念・3
津留晃一さんと会ったきっかけというものは覚えていません。
それぐらいに、私の心は揺れ動いていたのでしょう。
それはまさに荒波を、帆さえもないオンボロのヨットで
凄まじい波に委ねるように、流されるままでした。
気がついたら津留さんのHPにたどり着き、
そこで津留晃一のメッセージ集を見てみました。
まず、第一印象が
『 ぶっ飛んだ考え方だなあ 』
でした。
一般人ではおよそ考えが及ばないぐらいの次元が違う考え方でしたから、
最初は頭に入っても、ポーンとあっさりと頭の外に出てしまうぐらいに
読み飛ばすように見ていました。
ですが、読み続けるうちにしだいに見入ってしまっていたのです。
本当にぶっ飛んだ考え方なのに、なんだろう、この感覚。
それはまさに私と津留さんの魂の結びつきを約束されていたような
出来事でした。
メッセージ集を全部プリントアウトして、8割ぐらいまで読み終えたときに
現在出ている津留さんの本、5冊全部注文している自分がいました。
そして、5冊が届き 『 多くの人が、この本で変わった 』 の
15章 「 本当の奉仕家 」 を見て私の心は救われました。
以下、15章 「 本当の奉仕家 」 より抜粋
----------------------------------------------------------
◆まず、あなたが幸せになること
奉仕できなくてもいいのです。
それよりも、もっと大切なことがあるからです。
神は、まず < あなたが幸せになること > を望まれているのですから。
(中略)
他人に奉仕したいという自分の動機をチェックしてみてください。
その動機は、どこからきていますか。
そうすることが < 良いこと > だから、と判断した結果、
行動しているのではありませんか。
(中略)
そこに奉仕家の葛藤が生じます。
そして 「 奉仕しても、しなくてもどちらでもいいのだ 」 と
ニュートラルな考え方になることによって、
自分は奉仕家であり続けながら、なおかつ、
奉仕できない人を裁かなくなってくるわけです。
円満な人格者の誕生です。
(中略)
そんな人は、結果を恐れることがありません。
< 良い > と< 悪い > がないからです。
ただ起きてくる結果を楽しめるようになってきます。
どんな結果であってもです。
< 良い > と思って行動しているわけではないから、
悪い結果は生まれようがないのです。
----------------------------------------------------------
ここまで読んで、
『 ああ、ゴミを拾っても拾わなくてもどっちでも良いんだ 』
と心の底からそう思えました。
それぐらいに、私の心は揺れ動いていたのでしょう。
それはまさに荒波を、帆さえもないオンボロのヨットで
凄まじい波に委ねるように、流されるままでした。
気がついたら津留さんのHPにたどり着き、
そこで津留晃一のメッセージ集を見てみました。
まず、第一印象が
『 ぶっ飛んだ考え方だなあ 』
でした。
一般人ではおよそ考えが及ばないぐらいの次元が違う考え方でしたから、
最初は頭に入っても、ポーンとあっさりと頭の外に出てしまうぐらいに
読み飛ばすように見ていました。
ですが、読み続けるうちにしだいに見入ってしまっていたのです。
本当にぶっ飛んだ考え方なのに、なんだろう、この感覚。
それはまさに私と津留さんの魂の結びつきを約束されていたような
出来事でした。
メッセージ集を全部プリントアウトして、8割ぐらいまで読み終えたときに
現在出ている津留さんの本、5冊全部注文している自分がいました。
そして、5冊が届き 『 多くの人が、この本で変わった 』 の
15章 「 本当の奉仕家 」 を見て私の心は救われました。
以下、15章 「 本当の奉仕家 」 より抜粋
----------------------------------------------------------
◆まず、あなたが幸せになること
奉仕できなくてもいいのです。
それよりも、もっと大切なことがあるからです。
神は、まず < あなたが幸せになること > を望まれているのですから。
(中略)
他人に奉仕したいという自分の動機をチェックしてみてください。
その動機は、どこからきていますか。
そうすることが < 良いこと > だから、と判断した結果、
行動しているのではありませんか。
(中略)
そこに奉仕家の葛藤が生じます。
そして 「 奉仕しても、しなくてもどちらでもいいのだ 」 と
ニュートラルな考え方になることによって、
自分は奉仕家であり続けながら、なおかつ、
奉仕できない人を裁かなくなってくるわけです。
円満な人格者の誕生です。
(中略)
そんな人は、結果を恐れることがありません。
< 良い > と< 悪い > がないからです。
ただ起きてくる結果を楽しめるようになってきます。
どんな結果であってもです。
< 良い > と思って行動しているわけではないから、
悪い結果は生まれようがないのです。
----------------------------------------------------------
ここまで読んで、
『 ああ、ゴミを拾っても拾わなくてもどっちでも良いんだ 』
と心の底からそう思えました。
Posted by あーる♪ at
17:10
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2007年03月16日
中ボスの観念・2
しばらくは 「 ざまあみろ 」 という観念から離れますが、
まずは地元からゴミ拾いしてみよう!と思い始め、さっそくそれを
やりました。
現実で待っていたのは、
もう本当大量のゴミだらけ。
でした。
拾えば拾うほど終わらない大量のゴミ・・・。
何百回以上も通った道なのに、こんなゴミがあったのか・・・。
そう思うと、ゴミを拾うのに少しずつ苦痛となっていきました。
そして私の中に新たなる感情が芽生えてきました。
ゴミを捨てる人を見かけると ムカッ としてしまったのです。
前は何とも感じなかったのに。
本音を言ってしまいますと、
「 お前なー、私が一生懸命ゴミを拾っているのになんでそう簡単に
あっさりゴミをポイ捨てするんだよー 」
と感じていました。
これは自分で勝手に作り上げた、『 価値観(観念) 』 そのものだったんですね。
その価値観を人に押しつけようとして、思い通りにならないからムカッとする。
そして、これをやらねば生き残れないという (魂磨きの修行として)
『 死の恐怖 』
に突き動かされたまま日々を過ごしました。
身を犠牲にしてやり終えたあと、『 あー、世界ってこんなにも美しかったのかー 』 という
感情もありましたが、それもやっぱり死の恐怖から来る感情だったんですね。
死の恐怖はすごいものでした。
もうそれしか見えないという感じで周りが見えなくなったという感覚がしっくりと来ます。
死の恐怖のゆえに、一時的に中ボスの 「 ざまあみろ 」 さえも引き離すほど、
強烈な感情そのものでした。
今となっては、その感情も貴重な体験となりました。
死を意識したら何てことない世界が急に美しく見えた・・・。
これを身をもって体験したのですから。
そして、死の恐怖に魂が強く反応したせいか、まるで引き寄せられるようにそこで
津留晃一さんという方に出会ったのです。
まずは地元からゴミ拾いしてみよう!と思い始め、さっそくそれを
やりました。
現実で待っていたのは、
もう本当大量のゴミだらけ。
でした。
拾えば拾うほど終わらない大量のゴミ・・・。
何百回以上も通った道なのに、こんなゴミがあったのか・・・。
そう思うと、ゴミを拾うのに少しずつ苦痛となっていきました。
そして私の中に新たなる感情が芽生えてきました。
ゴミを捨てる人を見かけると ムカッ としてしまったのです。
前は何とも感じなかったのに。
本音を言ってしまいますと、
「 お前なー、私が一生懸命ゴミを拾っているのになんでそう簡単に
あっさりゴミをポイ捨てするんだよー 」
と感じていました。
これは自分で勝手に作り上げた、『 価値観(観念) 』 そのものだったんですね。
その価値観を人に押しつけようとして、思い通りにならないからムカッとする。
そして、これをやらねば生き残れないという (魂磨きの修行として)
『 死の恐怖 』
に突き動かされたまま日々を過ごしました。
身を犠牲にしてやり終えたあと、『 あー、世界ってこんなにも美しかったのかー 』 という
感情もありましたが、それもやっぱり死の恐怖から来る感情だったんですね。
死の恐怖はすごいものでした。
もうそれしか見えないという感じで周りが見えなくなったという感覚がしっくりと来ます。
死の恐怖のゆえに、一時的に中ボスの 「 ざまあみろ 」 さえも引き離すほど、
強烈な感情そのものでした。
今となっては、その感情も貴重な体験となりました。
死を意識したら何てことない世界が急に美しく見えた・・・。
これを身をもって体験したのですから。
そして、死の恐怖に魂が強く反応したせいか、まるで引き寄せられるようにそこで
津留晃一さんという方に出会ったのです。
Posted by あーる♪ at
21:58
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2007年03月15日
観念浄化で大切な宣言
ぼー・・・っとしていたら、観念浄化についてのインスピレーションが
突然、頭の中にわきました。
それは、
『 お前は観念浄化について少しばかりの疑惑がある 』
でした。
私はその言葉について ハッ としました。
そこではじめて観念浄化を始めてから心の中に少しのモヤモヤがあったので、その正体が
まさにそれでした。
右脳でインスピレーションを受け取り、左脳でそのインスピレーションを分析すると、
どうも私は
『 観念浄化の80%を信じており、残り20%は信じていなかった 』
ということが自己対話でつかめました。
そこで私はこう宣言しました。
『 観念浄化は私に絶大なる効果をもたらし、無限の富と叡智を与えてくれる。 』
・・・とこう宣言すると、案の定モヤモヤとした観念が出てきたので、ストレートに
『 私は観念浄化を信じていない 』
という観念を浄化しました。
そして再び宣言を繰り返し・・・ストーンと胸の奥に落ちました。
よし、これでOK!
ここで気づいたことは観念浄化をやるにあたり、
観念浄化の効果を出す第一条件が
『 観念浄化を信じる 』
ということでした。
これって冷静に考えてみたらごく普通の当たり前のことだったんですよね。
観念浄化をやる以前に観念浄化を信じていなかったら効果は落ちるのは
当たり前ですから。
観念浄化を始める前からこれをやればよかったな・・・と思いましたが、
すぐにその思いも消えました。
観念浄化は自己対話でもあるので、みんなその通りに合った手順というものは
ないんですね。 みんなバラバラ。
最初は「 ホントかよ!? 」 と半信半疑で観念浄化をやり、効果が現れ、
観念浄化はホンモノだ!!と確かめ、さらに繰り返し、効果が現れ、
またホンモノだ!と確信を強めていく・・・。
みんな、踏む階段が違うだけです。
この出来事も、私にとっては観念浄化の効果の確信を更に強める
という過程の階段を一歩上っただけに過ぎなかったのです。
でも、観念浄化ってホント凄い道具だなあって改めて感じました。
安達さんの言葉ですが、
『 津留はTOOL(道具)です 』
(注)観念浄化は「津留式浄化法」とも呼びます。
本当、その通りです。
突然、頭の中にわきました。
それは、
『 お前は観念浄化について少しばかりの疑惑がある 』
でした。
私はその言葉について ハッ としました。
そこではじめて観念浄化を始めてから心の中に少しのモヤモヤがあったので、その正体が
まさにそれでした。
右脳でインスピレーションを受け取り、左脳でそのインスピレーションを分析すると、
どうも私は
『 観念浄化の80%を信じており、残り20%は信じていなかった 』
ということが自己対話でつかめました。
そこで私はこう宣言しました。
『 観念浄化は私に絶大なる効果をもたらし、無限の富と叡智を与えてくれる。 』
・・・とこう宣言すると、案の定モヤモヤとした観念が出てきたので、ストレートに
『 私は観念浄化を信じていない 』
という観念を浄化しました。
そして再び宣言を繰り返し・・・ストーンと胸の奥に落ちました。
よし、これでOK!
ここで気づいたことは観念浄化をやるにあたり、
観念浄化の効果を出す第一条件が
『 観念浄化を信じる 』
ということでした。
これって冷静に考えてみたらごく普通の当たり前のことだったんですよね。
観念浄化をやる以前に観念浄化を信じていなかったら効果は落ちるのは
当たり前ですから。
観念浄化を始める前からこれをやればよかったな・・・と思いましたが、
すぐにその思いも消えました。
観念浄化は自己対話でもあるので、みんなその通りに合った手順というものは
ないんですね。 みんなバラバラ。
最初は「 ホントかよ!? 」 と半信半疑で観念浄化をやり、効果が現れ、
観念浄化はホンモノだ!!と確かめ、さらに繰り返し、効果が現れ、
またホンモノだ!と確信を強めていく・・・。
みんな、踏む階段が違うだけです。
この出来事も、私にとっては観念浄化の効果の確信を更に強める
という過程の階段を一歩上っただけに過ぎなかったのです。
でも、観念浄化ってホント凄い道具だなあって改めて感じました。
安達さんの言葉ですが、
『 津留はTOOL(道具)です 』
(注)観念浄化は「津留式浄化法」とも呼びます。
本当、その通りです。
Posted by あーる♪ at
15:36
│Comments(4)
2007年03月15日
中ボスの観念
ついこないだまで、これは中ボスかな?と感じる観念に取り組んでいて、
だいぶ浄化できたのでその過程をここに書き留めたいと思います。
長くなりそうなので、分けて書きますね。
まず取り組んでいた観念の声、それは
『 ざまあみろ 』
でした。
このざまあみろっていう言葉の裏は、他人の不幸を喜ぶ声です。
他人の不幸を喜ぶということは、
『 自分は幸せじゃない 』
ということを潜在意識で言っているようなものです。
それに気づくまで時間がかかりました。
浄化するきっかけは、アセンションという言葉からでした。
これは同時に津留さんとの出会いでもあったのです。
アセンションを信じるかどうかはその人の自由にお任せすることを
前提として、お話ししますね。
私の場合は、そのアセンションを猛烈に意識してしまったんですね。
その手始めとしてゴミ拾いからやったんですが、実はそれは
『 生き残るためにゴミ拾いをしなければならない 』
という強烈な観念に襲われてロボットのように操られたまま
やっていただけのことだったんです。
当時はまさかそれが観念あることは知るよしもありませんでした・・・。
だいぶ浄化できたのでその過程をここに書き留めたいと思います。
長くなりそうなので、分けて書きますね。
まず取り組んでいた観念の声、それは
『 ざまあみろ 』
でした。
このざまあみろっていう言葉の裏は、他人の不幸を喜ぶ声です。
他人の不幸を喜ぶということは、
『 自分は幸せじゃない 』
ということを潜在意識で言っているようなものです。
それに気づくまで時間がかかりました。
浄化するきっかけは、アセンションという言葉からでした。
これは同時に津留さんとの出会いでもあったのです。
アセンションを信じるかどうかはその人の自由にお任せすることを
前提として、お話ししますね。
私の場合は、そのアセンションを猛烈に意識してしまったんですね。
その手始めとしてゴミ拾いからやったんですが、実はそれは
『 生き残るためにゴミ拾いをしなければならない 』
という強烈な観念に襲われてロボットのように操られたまま
やっていただけのことだったんです。
当時はまさかそれが観念あることは知るよしもありませんでした・・・。
Posted by あーる♪ at
02:13
│Comments(5)
2007年03月14日
男性特有の観念についての考察
男性特有の観念、ということを考察してみました。
それは一言でいえば、ズバリ
「 男としてのプライド 」
です。
男としてのプライドを具体的に言うと、
「 男だから、~やらなければならない。 ~しなければならない。 」 です。
というのは命令形ですから、決まって観念なんですよね。
そしてその「 男だから~ 」というのが厄介で、気づかぬうちに無意識の内にインプット
されている可能性もあります。
そもそも何で男としてのプライドというものがあるのでしょうか?
それは男は実は弱い生物であることを隠すための観念であるように思います。
客観的に男と女を眺めていると、生命力が強いのはじつは女の方です。
寿命がそれを物語っているんですよね。
もし、本当に男の方が強かったのならば寿命も男の方が長くなければ
矛盾します。
人間の身体には約4000ccの血液があり、男性はその内1000cc
失ったら出血多量で死にます。
逆に、女性は4000ccのうち3000cc失っても死にません。
そして、生命力が弱いということは弱い存在です。
弱い存在が生きるためには支える人がいないと
生きてゆけません。
それを示すように、自殺者の統計データで男女の割合を
見てみると、圧倒的に男の方が多いんです。
ですので、そういうか弱い存在であることを隠すために、ちょっとでも
男のプライドを少しでも突っついたら、すぐムカッとします。
あとで別に怒らなくてもよかったんじゃないか・・・というささいな
出来事さえもそれに怒ってしまいます。
私も男ですから、よく分かります。
男のプライドをつっこまれたら、あとで素直になりたくてもなれないんです。
素直になると弱い存在であることがバレそうになるから、怖いんです。
でもそうじゃなかった。
自分は本当は弱い存在であるということがバレても、それは大したことではないと・・・。
むしろ本当は泣きたいのに、男としてのプライドがそれをブロック(邪魔)をして、
泣くことができないことが危険なんです。
それは感情を胸奥に封じ込めて、少しずつ蓄積していって中身のない風船が
どんどん大きくなるようなものです。
そして、風船の限界値を超えるとパァーーーンッ!と割れて、
暴走した風船のように、落ちるところまで暴走します。
世の中は変わり始めています。
男のプライドが支配する、男の方が強いという男女差別という観念の
世界は終わりを告げようとしています。
元々、男と女の関係はイーブン・・・どっちも公平で同じなんです。
男は女がいなければ生きられないし、
女は男がいなければ生きられません。
ただし、陰と陽の関係であるように男と女は作り方のあり方が
根本的から違います。
男と女は全く違う生物である、ということです。
それゆえに、陰と陽の関係なのです。
男としてのプライドという観念は、
『 男だから~しなければならない・やらなければならない』
というのを目安にすると見つかりやすいような気がします。
・男だから、泣いてはいけない。
・男だから、ええカッコしなければならない
・男だから、我慢しなければならない
・男だから、みんなをリードしなければならない
・男だから、強くあらねばならない
・男だから、競走に勝たねばならない
・男だから、むやみに笑ってはならない
・男だから、こだわりがなければならない
・男だから、やたらに表情を変化させてはならない
などなど・・・です。
ひょっとしたら、男性は男のプライドを真っ先に浄化させたら、
かなーーり楽になれるんじゃないかなって思っています。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、
どうもありがとうございました。
小林正観さんの男と女について
↑ 非常に参考になりました。
男性でも女性でもどちらでも一読することをお勧めします。
それは一言でいえば、ズバリ
「 男としてのプライド 」
です。
男としてのプライドを具体的に言うと、
「 男だから、~やらなければならない。 ~しなければならない。 」 です。
というのは命令形ですから、決まって観念なんですよね。
そしてその「 男だから~ 」というのが厄介で、気づかぬうちに無意識の内にインプット
されている可能性もあります。
そもそも何で男としてのプライドというものがあるのでしょうか?
それは男は実は弱い生物であることを隠すための観念であるように思います。
客観的に男と女を眺めていると、生命力が強いのはじつは女の方です。
寿命がそれを物語っているんですよね。
もし、本当に男の方が強かったのならば寿命も男の方が長くなければ
矛盾します。
人間の身体には約4000ccの血液があり、男性はその内1000cc
失ったら出血多量で死にます。
逆に、女性は4000ccのうち3000cc失っても死にません。
そして、生命力が弱いということは弱い存在です。
弱い存在が生きるためには支える人がいないと
生きてゆけません。
それを示すように、自殺者の統計データで男女の割合を
見てみると、圧倒的に男の方が多いんです。
ですので、そういうか弱い存在であることを隠すために、ちょっとでも
男のプライドを少しでも突っついたら、すぐムカッとします。
あとで別に怒らなくてもよかったんじゃないか・・・というささいな
出来事さえもそれに怒ってしまいます。
私も男ですから、よく分かります。
男のプライドをつっこまれたら、あとで素直になりたくてもなれないんです。
素直になると弱い存在であることがバレそうになるから、怖いんです。
でもそうじゃなかった。
自分は本当は弱い存在であるということがバレても、それは大したことではないと・・・。
むしろ本当は泣きたいのに、男としてのプライドがそれをブロック(邪魔)をして、
泣くことができないことが危険なんです。
それは感情を胸奥に封じ込めて、少しずつ蓄積していって中身のない風船が
どんどん大きくなるようなものです。
そして、風船の限界値を超えるとパァーーーンッ!と割れて、
暴走した風船のように、落ちるところまで暴走します。
世の中は変わり始めています。
男のプライドが支配する、男の方が強いという男女差別という観念の
世界は終わりを告げようとしています。
元々、男と女の関係はイーブン・・・どっちも公平で同じなんです。
男は女がいなければ生きられないし、
女は男がいなければ生きられません。
ただし、陰と陽の関係であるように男と女は作り方のあり方が
根本的から違います。
男と女は全く違う生物である、ということです。
それゆえに、陰と陽の関係なのです。
男としてのプライドという観念は、
『 男だから~しなければならない・やらなければならない』
というのを目安にすると見つかりやすいような気がします。
・男だから、泣いてはいけない。
・男だから、ええカッコしなければならない
・男だから、我慢しなければならない
・男だから、みんなをリードしなければならない
・男だから、強くあらねばならない
・男だから、競走に勝たねばならない
・男だから、むやみに笑ってはならない
・男だから、こだわりがなければならない
・男だから、やたらに表情を変化させてはならない
などなど・・・です。
ひょっとしたら、男性は男のプライドを真っ先に浄化させたら、
かなーーり楽になれるんじゃないかなって思っています。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、
どうもありがとうございました。
小林正観さんの男と女について
↑ 非常に参考になりました。
男性でも女性でもどちらでも一読することをお勧めします。
Posted by あーる♪ at
02:29
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